貴重 ラリードビー,ドンニューカム,ウォーリー与那嶺,加藤斌 直筆サインボール 中日ドラゴンズ クリアケース付き
1963年に実現した寄書きになります。大変貴重なアイテムになります。
◆ドン・ニューカム
1962年にラリー・ドビーと中日ドラゴンズに入団。
サイヤング賞初代受賞者(1956年)
中日ドラゴンズでは1年のみ在籍だった。
メジャーリーグではラリー・ドビーと共に黒人選手初のオールスターゲーム出場。
投手でありながらバッティングも良く《二刀流》として活躍した偉大な選手。
◆ラリー・ドビー
メジャーリーグで1952年に本塁打王のタイトル、1954年には本塁打王と打点王のタイトルを獲得。
1998年、アメリカ野球殿堂入りを果たす。
中日ドラゴンズでは1年のみ在籍だった。
MLB成績 ; 在籍13年、打率.288、本塁打253本
◆ウォーリー与那嶺(愛称)
与那嶺要(米名;Wallace Kaname Yonamine)
日本プロ野球戦後初の外国人選手。日本プロ野球殿堂入り。
1963年は前年に現役引退し中日ドラゴンズのバッティングコーチ就任初年。
◆加藤斌(たけし)
悲劇のヒーローとして語り継がれる投手。
1962年、作新学院はエースの八木沢の活躍で春の甲子園選抜大会に優勝、続く夏の甲子園大会直前にエースの八木沢が赤痢にかかり、急遽控えの加藤がエースとして戦うことになった。
選抜優勝校に突然起きたアクシデント、加藤は身長180cmの長身で腕が長い特徴があった。サイドスローから投げる球は見づらく打ち難かった。
準決勝の相手は強豪中京商業高校、ピッチャー林俊彦(南海ホークス入団)とキャッチャー木俣達彦(中日ドラゴンズ入団)の強力バッテリーだった。しかし加藤のピッチングは冴え渡っていた。特に右バッターの胸元に食い込むシュート(ツーシームに近い)は高校生では打てないと評された。加藤は中京商業を2-0で完封したのだ。決勝、結果は加藤が相手打線を完封し見事1-0で勝利、作新学院は史上初の甲子園春夏連覇を果たした。
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