津軽の刀鍛冶の伝統350年の歴史
津軽には、岩木山麓に広大な製鉄場の遺跡群がありその昔鉄の王国であったことを物語っています。
また、弘前市には、鍛冶町という町名があり江戸初期、城下町だった弘前には、100軒以上もの鍛冶屋が軒を連ねていたと言われています。二唐家は津軽藩より作刀を命じられて以来350年の伝統をけ継ぐ刀鍛冶の名門です。
江戸初期、城下町だった弘前には、100軒以上もの鍛冶屋が軒を連ねていたと言われています。そんな長い歴史を誇る津軽打刃物に、二唐刃物鍛造所があります。
二唐家は津軽藩より作刀を命じられて以来350年の伝統をけ継ぐ刀鍛冶の名門です。昭和になってもその名刀「国俊」は折にふれ、人にふれ数々の栄誉に輝いてきました。
二唐刃物鍛造所を語る時に、先代の二唐圀俊を抜きに語ることは、出来ません。
作刀展では多数の栄誉ある受賞を果たし、伊勢神宮、明治神宮の奉納刀を作製し奉納、 また初代横綱若乃花、二代横綱若乃花の土俵入り太刀を作製され、無監査刀匠まで登りつめた名匠、二唐圀俊(明治39年生まれ)
吉澤俊寿氏は、「二唐圀俊」を祖父に持つ、7代目です。「よし久」はこの二唐家の「国俊」の作刀技術をあますことなく庖丁作りに注いだ和庖丁の名品です。
「良品は声なくして人を呼ぶ」を、銘訓として、鍛え上げられた品質の高い刃物を作り続けておられます。