サイズ約23*11cm
日本で初て生産された磁器が,伊萬里です。
伊萬里の誕生は肥前鍋島藩,今の佐賀県有田町やその近郊の窯で、1610年代に始まりました。
その生産品は伊萬里の港から各地に積み出されたため、江戸時代以来、伊萬里焼と呼ばれて今日に至っています。
伊萬里は創始から約100年の間に技術と生産体制が発展し、染付とともに1640年代から色絵の生産も始まりました。
1660年代からは、オランダ東インド会社の注文による輸出用磁器が生産され、柿右衛門様式や金襴手様式の華麗な色絵磁器が完成し、国内外で広く知られるようになりました。
18世紀以降は、一般内需向けの大小さまざまな食器が生産され、各地に供給され消費拡大していきました。
伊萬里焼の中で1610~40年代頃までに作られたものは「初期伊萬里」と呼ばれます。素焼きをしない生掛け焼成のため、肉厚の大らかな器形をしています。力強く自由な筆致で描かれる文様は素朴で味わいがあり、中国の古染付こそめつけの影響を受けたものも多く見られます。初期伊萬里を焼いた窯跡からは染付を主に、青磁や銹釉さびゆう、瑠璃釉るりゆうなどを用いた豊富な内容の製品が出土しています。
17世紀中期から始まる伊萬里焼の輸出と、これに伴う技術革新により生まれたのが柿右衛門様式です。オランダ東インド会社からの厳しい品質注文を受け1670年代に完成し、ヨーロッパの王侯貴族から高い評価を受けました。薄く歪みのない器形、素地は「濁手にごしで」と呼ばれる温かみのある乳白色で、ここに余白を生かして絵画的な上絵付を施したものが典型的な柿右衛門様式です。皿や鉢などの食器以外に、人形類も多く作られました。経済活動と町人の文化が高揚した元禄年間(1688-1704)、この時期に始まった新たなスタイルが金襴手です。染付が施された端正な素地に、上絵具と金をたっぷり使って文様をくまなく装飾した豪華絢爛な作風です。それらは主に、国内向けと輸出向けに大別することができます。国内向けは「型物かたもの」と呼ばれる特別注文品、輸出向けは王侯貴族の居館を飾った大皿や大壺がその代表です。
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