横浜写真と呼ばれた明治期の小判手彩色写真で、鶏卵紙に焼き付けられたモノクロ写真に彩色されています。 南海電車の前身・阪堺電車線の通る難波付近の市街風景。跨線橋、難波駅などの鉄道施設が見えています。 長崎大学古写真データベースの大判写真によれば撮影者未詳。以下その解説抜粋です:写真に写っているのは、江戸時代の幕府の米蔵のあったところである。当時は大蔵省の用地となっていて、後にたばこ専売局ができる。右側の鉄道線路は明治18年に開通した、大阪難波と堺を結ぶ阪堺鉄道である。当時の踏切も写っているが、人を遮断するのではなく汽車を遮断するようになっている。跨線橋の左側にある大きな木の左側に大屋根があり、そのすぐ下に望楼のある建物が薄く写っている。これが難波停車場ではないかと思われる。右側の跨線橋の右あたりには、明治24年1月に大阪パノラマ館が開業するので、この写真は明治19年から明治23年までのものであろう。また、右側の中央よりやや上に、レンガ造の建物が見え、その上に望楼のようなものが写っているが、これは戎橋付近にあった火の見櫓である。左側上方では江之子島にある大阪府庁の建物がかすかに見えている。 海外に持ち帰られた後に里帰りしました。13cm×9cm。状態:経年による軽い変色があります。画像上で判らない瑕疵があった場合は返品に応じます。