インドネシア・アチェ特別州で見つけたアンティークなクリスタル製水差しセット
東南アジアの地図を眺めてみよう。インドネシアなんと広大な領域に展開しているのだろう!インド洋に面し、マラッカ海峡の出入り口にあたるアチェ特別州、そして東端の、南太平洋に浮かぶニューギニア島の西半分に位置するイリアンジャヤ州まで、その東西距離は、北米大陸のそれを上回ります。1万7千の島々から成る、世界第四位の人口大国です。言い換えれば、世界最大の海洋群島国家とも言えましょう。大きく分けても、数百の民族から構成されています。これだけ広範な海域に多数の島が点在していますと、“国境”の概念も、民族によって大きく異なります。例えば、イリアンジャヤの先住民は、お隣の独立国であるパプアニューギニアの人々を「同じパプア民族」と考え、逆にジャワ人やマカッサル人を「赤の他人」とさえ捉えています。同様に、カリマンタン(旧ボルネオ)島に暮らす人々は北側そして西南に位置するマレーシア、特にサラ ワクの人々を「親しい隣人」と捉えています。同様に、東カリマンタン州の人々は、北側に位置するフィリピンの先住民族をやはり“同朋”と捉えています。また、北スラウェシでは、フィリピンや日本と歴史的に関係が深く、文化的影響を受けた形跡が色濃く残っています。
スマトラ島の北端に位置する“紛争地帯”アチェ特別州は、その昔アチェ王国の時代、ほぼ“独立国”としてインド洋を挟み、ヨーロッパや中東地域と密接な交流・貿易を行っていました。今や世界最大のイスラム教徒国家となっているインドネシアも、振り返れば、このアチェに紀元800年頃にやってきた中東のイスラム教徒たちからイスラム教を導入したのです。また、オランダがインドネシアを植民地化した時代、東インド会社は、日本や中国より各種の製品を買い付け、それらをマラッカ海峡経由、ヨーロッパや中東、アフリカなどへ輸出しました。また、その逆の流れとして、ヨーロッパや中東、インド亜大陸などの商品が、東アジアに運ばれもしました。アチェはまさに東西文明・東西交易の十字路に位置していたのです。
写真の見事なクリスタル製品は、州都バンダ・アチェにある唯一の骨董店で見つけたものです。店主の説明によれば、その昔日本から渡ってきたとのことです。確かに、インドネシア、特にジャワ島やスマトラ島、そしてカリマンタン島、スラウェシ島などでは、入手は極めて困難になってきていますが、かつて東シナ海を越えインドネシアに渡った日本製クリスタル製品を見つけることができます。それらは主に花瓶であり、フルーツやお菓子などの盛り皿です。しかしながら、首都ジャカルタの骨董店主の分析によれば、このクリスタル製品は日本製ではなく、かつて中東地域から持ち込まれたものではないか、とのことです。残念ですが、真相は分かりません。
いずこの国から、いつの時代にアチェまで渡ってきたのかは定かではありませんが、惚れ惚れするほどの見事なクリスタル製水差しセットです。サイズは、水差しが高さ約22cm、最大直径約11cm、重さはおよそ820グラム。差し口の直径は約9cmあります。一方、コップ(計3個)の高さは約10.8cm、直径約6.3cm、重さは145~155グラム。『これほどまでに素晴らしい水差しセットは、スマトラ島中を探しても二度と出て来ないだろう』と、バンダ・アチェの骨董店主は自信満々でした。 インドネシア文化宮は、インドネシアの24時間ニューステレビ局『メトロTV』東京支局がプロデュースするインドネシア情報発信基地です。
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